鼎談「セクショナリズムから遠く離れて」

 

2016年1月6日 於:秋葉原 DMM.make AKIBA

 

根津――根津孝太(znug design 代表)

郡司――郡司典夫(中央公論新社学芸局)

久米――久米泰弘(書籍編集者)

 

 

 

> 第9回 「効率」について(前編)

 

 

第10回 「効率」について(後編)

 

郡司――でも、ふつうデザイナーといったら、もっとナルシストだし、そういう人のほうが多いんじゃないですか?

 

根津――どうでしょう、どう思う?

 

久米――多いでしょう、多いと思うよ、それは。いわゆるライターも一緒でしょう。文章だけを書いて食っているライターなんて、奇跡的な才能の持ち主ですよ。ところが、雑誌に署名原稿が載ることを目的化させているライターに会ったりすると、シラけちゃうんですよね。「ホントにそうか?」という問いかけがない。ぼくはときに署名原稿を依頼されても、ライターとして書くのではなくて、あくまで書籍編集者として意識して書いている。その文章を保証するのは、ぼくという個人ではなくて、書籍編集者という職業だと思っているからです。

 

根津――なるほど、「私はデザイナーです」ではなく、「デザイナーである私」が職業倫理をもって仕事をするということですね。自分ひとりの倫理観か、デザインという大きなフィールドを背景にした倫理観か。責任のとり方ですよね。ぼくも久米さんも完全に後者だと思うんだけど、自分ひとりで勝手にやって「ハイできました」ではない。

 

久米――本が世に出たときには、編集者であるぼくの存在は、消えてなくなるのが理想というのは、そういう意味なんですけどね。売れっ子作家ならいざ知らず、編集の過程で反対意見が出ない仕事なんてあり得ないし、もしあったらそれは間違っている。むしろ恐ろしい事態ですよ。

 

根津――そうですよね。だからぼくは組織のあり方について言及するんです。もちろん会社組織を否定するつもりはまったくありません。会社という形をとることが効率的だから、それは組織化される。その意義は十分わかります。ただ、クリエイティヴな場というのは、かならずしも会社という単位である必要はなくて、たとえばいま話をしているこのチームがきちんと有機的に機能していれば、そのほうが効率ははるかにいいんです。

 

郡司――そこに反対意見が出るのは当然のことだと。むしろないほうがおかしい。

 

根津――そうです。規模の大小にかかわらず、プロジェクトごとに組織されたチームが、クリエイティヴな場を形成して、反対意見が飛び交うようなコミュニケーションをとおしてひとつのモノをつくり出す。生産効率が高い組織というのは、そんなクリエイティヴな場の形成に懸かっていると思うんですね。こと日本のモノづくりに関して言えば、そういう組織のあり方、チームの結束をできるだけボーダレスに起こしていかないと、未来は危ういと思います。

 

久米――何を生産するかということより、どう管理効率を高めるかに経済の答えがあると、どこかでカン違いしているような気がする。お客さんに喜んでもらえるようなモノをつくることが本質なのに、いつのまにか株主を儲けさせるために会社を組織替えしていくみたいな、おかしな方向に舵を切っているように見えます。

 

根津――株主のみなさんに儲けていただくのは大切なことです。しかし、会社を効率よく管理することがばかりが優先されて、肝心のモノづくりの現場がどんどんマニュアル化されていけば、結果的には株主のみなさんにも損をさせることになります。確かに日本ほど生活するのに高コストな世の中は、そうありません。だからこそ、モノづくりのような現場で、いろんな可能性をもって考えられるヒントやチャンスをもらっているとも言えるんです。その点、日本のユニークな技術の粋は、いたるところに点在しているわけです。だったら、会社という枠組みを横断して、チームとしての新しい組織を形成することが重要だと思うんですね。

 

郡司――つくるモノごとにチームを組織化して、点在している技術をまとめるデザイナーの役割ですね。

 

根津――まさにそうです。そこにあらたな生産効率を求めるということです。ここで言うデザイナーとは絵が描ける人ではありません。大きなヴィジョンを描けるコミュニケーターのことです。とにかく、日本全国津々浦々、町工場のおじさんとか、驚くほどものすごい技術を持った人たちばかりなんですよ。しかし、それらの技術を繋いで、組織化していく人がいないばっかりに、どんどん閉鎖に追い込まれている。もったいないと思いますね。

 

久米――文字どおり、根津さんが代表を務める「ツナグデザイン」。人と人、技術と技術を繋ぐ役割が求められている。

 

根津――要するに、ひとりじゃ限界があるんですよ。実際におじさんたちの技術に触れてみなければ思い浮かばないアイデアのほうがずっと多いし、あの町工場とこの現場を繋げてみたらどうだろうとか、それは経験から学ぶしかない。最初はぼくが点在する技術を繋ぎ合わせて、いわば勝手にデザインしてプランを練るので、それは彼らにとってはじめての試みである場合が多いんですね。反対意見が出るのは当然なんです。

 

郡司――ただそのプランのクオリティが高くないと、一緒にやりましょうとならないし、チームとして組織化されにくい。

 

久米――ただでさえ頑固な日本の技術者だから、そのハードルは高いよね。

 

根津――久米さんがプロダクトデザインを舞台の脚本に喩えてくれたんですが、クオリティが高い脚本をもっていかないと、誰も演出も演技もしてくれないし、舞台にならない。技術者に見向きもされないんです。でも、舞台を見てお客さんが感動するのは、演出と役者の演技であって、脚本の良し悪しは表には出ないかもしれない。デザインのもつポテンシャルは、あくまで技術者やお客さんを含めたチームの力で開花するのであって、ぼくひとりではどうにもならない。

 

郡司――そういうクセのある人じゃないと、こんな原稿にはならない(笑)。

 

久米――今日、郡司さんに会って、「あれ? ホントに本が出るんだ」って?

 

根津――「ウソじゃなかったんだ!」(笑)。

 

 

> 第11回 「組織」について