鼎談「セクショナリズムから遠く離れて」

 

2016年1月6日 於:秋葉原 DMM.make AKIBA

 

根津――根津孝太(znug design 代表)

郡司――郡司典夫(中央公論新社学芸局)

久米――久米泰弘(書籍編集者)

 

 

 

> 第10回 「効率」について(後編)

 

 

第11回 「組織」について

 

久米――いま、ITベンチャー企業の寿命って平均5、6年程度らしいんですね。長く組織が続かないのは、もちろんそれを望んでいないということもあるんだろうけど、ガチガチに管理しすぎるからじゃないかな。高校生の時分に椎名誠さんの〈あやしい探検隊〉シリーズを読んでいて、連絡網だとか会報だとかまったくナシで、組織を管理しようとしなかったから、メンバーは入れ替わりながらもずっと続いてきたみたいなことが書いてあって、それは真理を突いてるなあと思ったことがある。

 

根津――〈あやしい探検隊〉はぼくも読みました。先に郡司さん含めて「効率」の話をしたときに、「組織」の話をしたのはそこなんです。組織を運営しようとした瞬間に、やっぱり管理効率を考えざるを得なくなる。「10人いたらだいたい6人は使えないんですよ」となったときに、その6人を排除するか、4人で10人分働かせるか、管理効率の話になっていくんです。組織運営の落とし穴は、従業員の管理が仕事の一環になっていくことにあると思うんですね。いくら従業員の管理効率を上げたところで、その仕事自体は一銭も生み出さない。もちろんこれは極論ではあるんですけど。

 

久米――しかも、こうすればうまくいくという一般解はない。

 

根津――ないですね。そこで連絡網もない会報もない、組織を管理する方策を一切持たないとなると、有機的な繋がりしかあり得なくなるわけで、個々の意思でしか組織は動いていかなくなる。そうなると管理効率は悪くなるかもしれないけれど、ハッキリした目的があって、個々の役割がきちんと共有されていれば、逆に生産効率は高まっていくはずなんですね。それがぼくの言う理想的な「チーム」のあり方です。

 

郡司――具体的に、何かあったんですか?

 

根津――たとえば放課後クラブ的な、ある程度自由を与えられた社内組織は、やがて管理された時点でうまくいかなくなることが非常に多いんです。組織を越えて集まって、自由なコミュニケーションを重ねて、遊びのような感覚で活動しているうちはいいんですが、あるとき「そろそろ結果が見えてきたから、これを全体で組織化してやってみよう」となった瞬間に、チームのポテンシャルが瓦解するという事態は本当によくある。

 

久米――それは実際、大企業にいたからこそわかることですね。

 

根津――あるチームでうまくいったことを、一般解としてより大きな組織に転用しようとしても、それは無理なんです。さんざんコミュニケーションを重ねて、反対意見を闘わせて、ようやくそれぞれの個が立ってきた、そんな傍から見ればよくわからないチームだからこそできることって、やっぱりあるんです。それを会社が個を無視して組織化しても、同じようにいくわけがない。それが管理効率の限界なんですね。

 

郡司――なるほど、それはどんな会社にも言えることかもしれない。

 

根津――管理効率を追求しようと思ったら、どうしても一般解が必要になってきます。はじめから共通理解を設定しなければならなくなる。マニュアルがいい例ですね。でもちょっと待て、と。共通理解をつくるまでにどれだけ話し合ったかという過程を欠落させたまま、結果だけを移植してあらたな組織をつくろうとしても、同じ成功は導かれ得ないんです。郡司さんがおっしゃった「コミュニケーションはそもそも効率が悪い営み」だと、それはそのとおりですが、効率の悪いコミュニケーションを重ねなければチームは充実していかないし、肝心の生産効率は上がっていかない。

 

久米――あくまで社内の部分でしかなかったチームが、いろんな過程を経て、結果うまくいった成功体験を、企業はあくまで全体の手柄にするから、あそこでもできるかもしれない、ここでもできるかもしれない、と考えがちなんですね。一般解にできないことを、一般解にしようとする。

 

根津――そうです。だからいざフタを空けてみたら質は下がるし、生産効率は上がらないとなる。劣化コピーにしかならない。そもそもコピーするところを間違えていたりする(笑)。

 

久米――そうなると今度は、成功体験をもたらしてくれたチームがおかしかったんだみたいな、全体組織の側からウソつき呼ばわりされてね。「あれは奇跡だったんだ」(笑)。

 

根津――「奇跡じゃない、必然だよ。だってそういうチームだったんだから!」(笑)。

 

久米――笑いごとじゃないですよね。そういうことって、企業にはいくらでもありそう。

 

 

> 第12回 「余白」について