鼎談「セクショナリズムから遠く離れて」
2016年1月6日 於:秋葉原 DMM.make AKIBA
根津――根津孝太(znug design 代表)
郡司――郡司典夫(中央公論新社学芸局)
久米――久米泰弘(書籍編集者)
第5回 「会議」について
郡司――根津さんはふだん、企業や役所などの会議に出向いたとき、おもにお話をされる側なんですか、それとも質問することが多いんですか?
根津――最初はだいたい、話し合いが硬直している状態がほとんどなので、自分からプランを出してみることを大事にしています。それがダメな案でもいいというのがぼくの考え方なんですね。でもダメはダメなりに、良いダメっぷりがあるわけです。やっぱりつまらないアイデアではどこまでいってもつまらないのですが、いい意味でツッコミどころが満載状態だと、おもしろい方向に転がることが多いんです。そこでツッコミが入ればしめたもの、クリエイティヴなコミュニケーションがはじまる。
郡司――「良いダメっぷり」というのは、おもしろいフレーズですね。
根津――ツッコミが入って、「じゃあどうずればいいですかね?」と返したときに、なんらかの回答があれば、その人はもうチームの一員なるんです。
郡司――ふつうはそこで、しらけた感じになるパターンが多いですが、根津さんの場合そうはならない。クリエイティヴなコミュニケーションの可能性が開かれたサインと捉える。
根津――そうです。「素直さ」というのは、そこで発揮されるんです。そんな態度をとることができるのは、先に話したように、ふだんから問題意識を持って、悩んで、感じて考えて行動して、「善意に下支えされた思考」をもって戦略を練り、コミュニケーションを求めているからこそなんです。
郡司――そうですね。
根津――だいたい他人の投げたプランを罵倒してくる人は、相当自信を持っているはずなんです。だとしたら、その人に合わせて真剣にコミュニケーションをとれば、飛躍的にいいものができるかもしれない。そう考えるんです。もしそこで、ぼくのプランを絶対的なものとして押し通すことができたとしても、そこから得られる満足も完成度も、個人のレベルを超えていかない。でも、コミュニケーションを重ねてチームが結束していけば、できあがった製品は全員の満足を喚起するわけです。完成度も個人では絶対に到達できないレベルに達する。
郡司――その意味では、クリエイティヴィティはチーム全員の意思に懸かっているということですね。
根津――そうです。そのような態度で会議に臨むのが良い結果を生むことは、これまでの経験からゆるぎなく確信しているので、話し合いで何を言われても、ぼくはできるだけポジティヴに受け止めるようにしています。
郡司――ふつうなら「何にもわかってないくせに」と、頭にくることが多い。
根津――そうでしょうね。悪意だけを持ってこられたら、それはぼくだって腹が立ちますよ。でもその悪意さえ、善意に転換してクリエイティヴィティにつなぐことができたら、もっといいものができるんじゃないかと思うんです。
郡司――そうは言っても、実践するのは難しいというのが、一般的な反応だと思うんですが、どうですか?
根津――そうかもしれません。でもそれは、もう場数を踏むしかない。ぼくだってものすごくたくさん失敗を重ねているわけです。
郡司――私の経験からいくと、いくら場数を踏んでも、会議が踊っていかないのは、よくあることだと思うんですが。
根津――それはたぶん、誰もが相手が悪いと思っているからです。問題を自分化して考えていないから、そうなるのではないでしょうか?
郡司――なるほど。自分に何か足りないものがあると自覚されていないから、会議がツラいんですね。
根津――そうだと思います。会議においては、誰もがひとりひとり、キーマンになり得るんです。会議というのは本来、職位や所属など一切関係なく、もっともクリエイティヴなコミュニケーションが可能になる現場のはず。にもかかわらず、会議が踊らないのは、個々が自分に足りないものがあると自覚できていないからだと、ぼくは思う。だって、相手の考えを変えるのは、並大抵のことではないからです。積極的に質問をして、自分から「なるほど、そうかもしれない」という気づきを得られるかどうか、そこが重要なんだと思います。
郡司――そうか、「素直さ」もそこに繋がっていくわけですね。
根津――そのとおりです。って、久米さん、さっきから全然、話に入ってきませんね。
久米――痛いところを突かれすぎて、話に入っていくこと自体が恐い(笑)。
郡司――ハハハ、また同じオチ。
久米――こうなったら最後まで同じオチを探して、問題を「自分化」して考えてみます(笑)。
根津――問題を自分化して考える。まさに会議を踊らせるコツだと思いますね。