鼎談「セクショナリズムから遠く離れて」

 

2016年1月6日 於:秋葉原 DMM.make AKIBA

 

根津――根津孝太(znug design 代表)

郡司――郡司典夫(中央公論新社学芸局)

久米――久米泰弘(書籍編集者)

 

 

 

> 第6回 「先入観」「思い込み」について

 

 

第7回 「時間」と「空間」について

 

郡司――もうひとつ気になったのが、「時間」と「空間」という言葉の意味と使い方です。

 

久米――ああ、それらの言葉をぼくが対比して使った意味は、近視眼的になって、長い「時間」を見る、あるいは想像することが困難になっているという、視点についてなんです。だから「空間」の意味は、瞬間とか状況とか、その場の環境とか、あくまで長い時間軸の対にある概念として使ったものです。でも、一般的に「空間」と言ったときには、そのように捉えられない可能性は大いにあるので、そこは気をつけなくてはいけないと思います。

 

根津――「時間」と「空間」に関してはもう少し噛み砕く必要があるかなと、久米さんと話し合ったところです。どんな空間にもやっぱり時間は流れているわけで、その意味では、時間の対になる言葉としては、空間より「場」がふさわしいという結論になったんですね。

 

久米――まさに根津さんとの「クリエイティヴ・コミュニケーション」の結果。

 

郡司――タイトルどおり、そのようなプロセスを経て、この本自体が成り立っている。

 

久米――そこは素直さをもって、反省しつつ、一般の読者を想像して言葉を選ばなければならないと思ったところです。

 

根津――この本はどんな読者にも胸襟を開いておきたいんですね。たとえば、セクショナリズムの実例を話すときも、全部を否定してしまうのではなくて、なかにはそうでない人もいるということを示すべきだと思うし、マニュアル対応にしがみついている人を批判するだけではなくて、どのようにしたら「クリエイティヴ・コミュニケーション」の場に引き込むことができるかを示せなければ、結果的に読者を選別してしまうことになる。それだけは避けたいなと思っています。

 

郡司――そうですね、重要だと思います。

 

根津――守破離という言葉があるように、マニュアルという型から入って、型を捨てているように見えるくらい、コミュニケーションに長けた人もいますからね。

 

郡司――ここで強調されている時間への意識というのは、会議のプロセスを重要視するとか、製品ができたあとにお客さんにどう使われ、どう展開していくか、そのあたりを指しているわけですよね。

 

久米――そうです。根津さんのユニークなところは、デザインの自己主張とか、とにかく製品ができたら終わりという、完結をあえて目指さないところなんです。デザインの行方や製品の展開がどこへ向かうのか、どこまで企みや企てを及ぼすことができるか、非常に射程の長い時間軸をもっているということ。とくに書籍は、完成したらその時点で終わりなんてあり得ないわけです。100年リーダブルである本をつくろうと、編集者としてぼくはいつも、そこに時間を投影しようとする。郡司さんの言うとおり、ものすごく重要なことだと思っています。

 

根津――「時間」と「空間」という概念を、久米さんの言う意味で考えると、「深層」と「表層」という言葉に置き換えることできると思うんです。

 

郡司――そうか、ナルホド。

 

根津――表層だけとってみると、あるのは瞬間だけです。反対意見を言われた、言い返して応酬終了。全部その場で表面を滑っていくだけでしょう。でも反対意見のなかにキラリと光るアイデアを見つけられれば、そこを掘っていくことができる。そんなコミュニケーションを、開発チームだけでなく、お客さんともとることができれば、その製品のポテンシャルはどんどん深まっていくんですね。それはどんな仕事においても同じではないかと思っています。

 

郡司――確かに。

 

久米――近視眼的に見ていたら、そうはいかないよね。

 

根津――デザイナーとして、製品がお客さんの手に渡ったところから、さらに手を加えてもらえる要素をいかに仕掛けられるか、あらかじめ投企できるか、そこにプロダクトのポテンシャルは埋蔵されているのではないか。製品の持つそうした「深層」こそが、プロダクトの生命を長らえ、「時間」を支えるんじゃないかと思います。

 

 

> 第8回 「キャラクター」について