鼎談「セクショナリズムから遠く離れて」

 

2016年1月6日 於:秋葉原 DMM.make AKIBA

 

根津――根津孝太(znug design 代表)

郡司――郡司典夫(中央公論新社学芸局)

久米――久米泰弘(書籍編集者)

 

 

 

> 第11回 「組織」について

 

 

第12回 「余白」について

 

郡司――ぼくも会社組織に属する人間として、ぜひ参考にしたいと思うんですが、どうしても管理効率が求められるとき、それを風通しよくおこなうにはどうしたらいいとお考えですか?

 

根津――ひとことで言えば、みんなで共有できる余白があるかないかは、大きいと思うんですね。さっき久米さんが言ったように「ガチガチに管理しすぎる」と、長続きしないと思うんです。組織内で起こる小さなエラーもおおらかに受け入れられる、余白のある管理であれば、むしろ生産効率を高めることだってあると思う。その意味でぼくはマニュアルを全否定しているわけではありません。

 

久米――参考になるかどうかわからないけど、ぼくがニューヨークで友人のアパートに転がり込んでいたとき、エントランスにホームレスのおじさんが住んでいたんですね。その人は、夜中に来て、朝出ていくんです。でも住人は誰も彼を排除しようとしない。セキュリティになるから。たまに会ったりするとふつうにあいさつして、ビールを一緒に呑んだり、身なりもそれなりにきちんとしてるんです。

 

郡司――へえ、いろんな経験してるね。

 

久米――じつはそのアパートのいちばん長い住人が、ホームレスのおじさん。仮にここで、アパートとその住人を「組織」と考えると、ホームレスのおじさんはべつに契約を交わして寝泊まりしているわけじゃないけど、「組織」の管理上しっかり役に立っているんですね。管理効率を言うなら、そのくらい余裕のあるメンタリティでなくちゃ息苦しくなるだけだと思う。

 

根津――いい話ですねえ。それはおじさんにとって、物理的な居場所であると同時に、社会的な居場所になっているということですよね。ホームレスとはいえ、おじさんの生活には欠かせない拠り所になっている。アパートの住人もセキュリティとして彼の存在を認めて、排除しないどころか、リスペクトしているフシさえある。

 

久米――ニューヨークらしいギヴ・アンド・テイクの精神でしょう。それこそ本来的な経済の形だと思うんです。夜中に来て、朝出て行くっていう、おじさんの矜持というか、ホームレスとしてのつつましやかな遠慮も、なんかいい。話してみると、ジャズのこととかすごく詳しくて、「昔、チャーリー・パーカーとヴィレッジでよく呑んだよ」なんて言う。でも東京だったら、そんなこと以前に、有無を言わさず即排除でしょう。コミュニケーションをとる余地がまったくない。

 

郡司――根津さんの言う「みんなで共有できる余白」ですね。迷惑をかけているわけではないなら、べつにいいはずなんですけどね。考えようによっては、そんな「余白のある管理」こそが、組織の生産効率を高めているとも言える。

 

久米――そのとおり。誰かの役に立っている、誰かが「この人のおかげで安心していられる」と思う、誰かにそう思われていると気づいたら、人はふつうやる気になるんですよ。自分は排除される対象ではなくて、社会や組織に必要な存在だと見做される。人間としての尊厳が担保されているんです。

 

根津――ぼくは、ホームレスのおじさんが作るダンボールハウスに感動して話しかけてしまうことがあるんですが、みなさんいろんな過去を持っていて、話題も豊富で楽しくお話しできることが多いです。こう言うとまた効率の話になってしまうんだけど、いま日本の社会から、そういう余白がどんどん失われているように思うんです。具体的に、空き地がホントになくなりました。

 

郡司――ああ、コミュニケーションの余地みたいな精神的余白と、空き地のような物理的余白ですね。

 

根津――そうです。空き地はいわば、効率がきわめて低い土地だと言える。でも、空き地が持っていた機能の高さは、確実に地域社会へ貢献してきたと思う。

 

久米――ぼくらのころは、空き地があればすぐ野球でしたからね。学区を超えた子どもたちの社交場。

 

根津――空き地といえども誰かの所有物なわけで、でもその人の度量で、子どもたちに開放されていた。そういう「余白のある管理」の仕方は、決して珍しくなかったと思うんですね。でもいま東京に空き地があったら、かならずどこかの業者がやって来て、コインパーキングにしましょう、自動販売機を置かせてください、マンションを建てませんかなどといったように、その土地を有効活用しようとして投資と回収の話になる。

 

郡司――久米さんの言う「本来的な経済の形」ではなく、費用対効果の観点だけで土地の価値が図られているということですね。それにしても、東京はホントにコインパーキングが多くなりました。

 

根津――それはビジネスとしては正しいし、土地活用の金銭的な効果には繋がるかもしれないけれど、その結果、余白や遊びを街なかからすべて奪ってしまった。行き過ぎたモータリゼーションは生活道路ですら自動車優先を当然のこととしています。だから「息苦しい」わけでしょう。デザインも一緒、余白を余白のままどう活かすかが肝なんです。

 

久米――スペースって、大事ですよね。「議論する余地」っていう言い方があるでしょう。余地って、文字どおり空き地ですね。余った土地。少しずつ議論して、それこそクリエイティヴなコミュニケーションを重ねて、よりよいものにしていく余地や余白は絶対に必要。それを一方的に埋めてしまったら、バランスがとれないのはあたりまえです。

 

根津――くり返しになるけど、近視眼的なんですよね。でも結果は、長い時間のなかであらわれてくると思う。

 

郡司――それは教育の問題にも言えることですね。

 

久米――なるほど。大学がいま、本来の研究機関としての機能から、就職のための専門学校みたいになってきているのも、余白がなくなってきたことが大きな原因でしょう。教育の結果は、根津さんの言うとおり、長い時間のなかであらわれてくるものだと思うんですけどね。

 

根津――拙速に結果を求めすぎると、いい成果が出ないというのが、ぼくの実感なんです。結果よりそこに行きつくまでのプロセスのほうがずっと大切。プロセスをおろそかにしては結果は導き出されない。

 

郡司――プロセスをおろそかにしない結果が、書籍になる。いまから楽しみです。

 

 

つづく!